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中国时间: 19:46 2016年12月03日星期六

何清涟: 薄熙来“入常”之路为何如此多艰? - 2012年中国政局分析(2)


编者按:这是何清涟为美国之音撰写的评论文章。这篇特约评论不代表美国之音的观点。转载者请注明来自美国之音或者VOA。

最近的王立军事件,至今只有三个关键因素确切无疑:一、王立军去过成都美领馆,一天之后又“自愿离开”;二、国安部副部长邱进等数人在成都美领馆之外将走出来的王押解进京;三、此事件的发生对薄熙来政治前途非常不利。

现在回过头来分析2006年至2007年间北京流传的一条消息。在胡锦涛进入第二任期时,江泽民写信给胡锦涛,建议不能再走指定接班人的老路子,要通过党内民主,在省部级干部当中推选。胡听从此建议,在省一级干部与中央党校的干部学员中推选,据说习近平得票最高。因此,习近平成了中共党内集制度化资源(党内民主推荐)与非制度化资源(太子党身份)于一身的第五代领导人选。于是在2007年有了前文提到的对习薄两位太子党不同的安排。由于李克强当时已经成为朝廷心照不宣的下届总理人选,颇有雄心的薄政途前景很不明朗。

第一,薄熙来的“入常”之路为何如此艰辛?

谈到薄督,中外评价好用“野心勃勃”一词形容。我也用过“问鼎”一词,但形容的是其不按中共组织规则出牌的姿态,并非指他要求总书记位置,因为他现在要求的其实只是政治局常委一职。按其才干与以往治绩,薄督并不比其他可能“入常”的人选,如李克强、刘云山、张德江、张高丽等人的才具逊色。如果从“救党”这个角度来看,他其实比其他的人更有能力与魄力。按资格,他既符合中共提拔干部的制度化标准(知识化、在地方与中央部委的任职经历俱全),同样也拥有非制度化资源(太子党身份)。中国高层政治权力阶梯爬升的几步曲:中央委员、政治局委员、政治局常委,薄已登上两大台阶,他全力想攀爬的只是最后一级。就其资格与位势来说,“入常”乃是他那位置上应有的政治抱负,算不上什么“野心”。正如康熙时期“九王夺嫡”一样,王子们有王位候选人资格,能否上位得经过竞争,输者认栽。但“野心”之类说辞,只是胜利者加诸失败者的用语。

我认为,薄熙来督渝之后,其政治姿态过于强势,强势到让中南海认为权威受到挑战,这是其“入常”艰难的一个主要原因。

薄熙来从商务部长转任重庆市委书记并任政治局委员之时,能否“入常”,各有50%的可能。薄督如果采用低姿态谋求“入常”,并非无望。但薄督在权衡得失之后,竟走上了一条中共建政后从未有人走过的路,走上了一条长达三年、充满政治风险的“问鼎”之旅。其起跑点是“唱红打黑”,“唱红”意在表示自己承袭的是毛泽东的正统;“打黑”则是要还重庆一个“清明社会”。直到这一步,薄所作所为,还属于方面大员的份内事,但2010年正式出炉的“重庆模式”却已超越中共组织原则——按中共传统,在党内有资格提出理论的必须是党魁,如毛泽东有“思想”,邓小平有“理论”,江泽民有“三个代表”,胡锦涛则是“科学发展观”。以四个直辖市中位列末座的重庆市委书记一职,竟然要弄出一个“重庆模式”,无论如何也会让中南海诸位深感权威受到挑战。

所谓“左右路线之争”云云,我一直认为纯属扯淡,那只是权争道具而已。

第二:薄熙来所凭仗的资源到底是什么?

在中国历史上,诸侯“问鼎”,往往发生在天子权威式微,诸侯势力坐大,因此天子无奈其何。但由于“问鼎”违背所处社会的政治伦理,问鼎者必须拥有强大的非制度化实力,才能与制度化力量对决。

薄熙来是否拥有这种能量?答案是:他拥有绝大多数同级官员没有的非制度化资源:太子党身份。

熟悉中国政治的,就知道“太子党”这个词在中国政治的特殊含义。按其父辈与中共政权的关系,又分为“老太子党”与“新太子党”。“老太子党”是与中共建政有关系的元老级人物后裔的合称。“新太子党”主要指第三代与第四代党与国家领导人的后裔。在中国,“太子党”这一身份代表着政治特权与经济特权。不够资格称太子党的,如果与中共打江山有关的一代“革命干部”子女,近几年的官称是“红二代”。其余党政官员们的后裔则只能称“官二代”。这是中国官宦子弟内部身份区别的大致界限。

关于新老太子党利用父辈政治资源致富的故事,一直在中国坊间流传。由于这与中共标榜的价值观相悖,因此成了中国的政治禁词。用中国的百度搜索,所谓太子党都是别国发生的故事,如印尼、台湾、日本、美国等国的太子党。用google搜索“中共太子党”,共有328万多词条,形形色色的内容不一而足。英文对此的专用词汇是china’s red princesses,经常成为中国报道的热门话题。

第四代领导人因为治绩不佳,对舆论风评论特别在意。自改革开放以来,第四代领导人的政绩用“乏善可陈”算是很客气的考语。标志这个时代的关键词有高度腐败、裸官、网络控制、五毛、征地拆迁、政府行为黑社会化、反抗者自焚、三亿多贫困人群、大规模群体性事件……等等,社会危机四伏。这不仅是头脑清醒的在野人士对时局的判断,也是统治集团内部的基本认识,精英阶层纷纷弃国移民已经表明了他们的态度。因此,薄熙来在“唱红打黑”的基础上发展出“重庆模式”,算是对胡温政绩的一种否定,这种否定的姿态也引来了投机与真心拥护等各种动机杂陈的热烈呼应。至于“重庆模式”能否将中国引领出黑暗另当别论。

可以说,胡温的无所作为与重重社会矛盾,无论是党内还是民间,堪称怨声载道。作为最高领导人,胡温的声望较前三代都低,被视为平庸之主。这就是薄督在重庆玩政治“蹦极跳“的社会背景。

中国政局分析(二)薄熙来の「常任委員会入り」はなぜ厳しいか。

何清漣氏 @HeQinglian 氏ブログより
日譯@Minya_J @minya_j

http://www.twitlonger.com/show/fvb4vs

①王立軍事件は現在3点だけは確かである。❶王は成都の米領事館に行った❷一日後”自らの意志”でそこを出た❸この事件は薄熙来の将来に大変不利である。

今思い起こせば、06年から07年に北京でこんな噂が流れた。胡錦濤の二期目に江沢民が「後継者指定の過ちを繰り返すな。党内の民主を経て省級幹部から推 薦せよ」と手紙を書いた、というのだ。胡はその通り省の一級幹部と中央党学校幹部学生から推薦した結果、習近平の票が最高だった。

かくて、習近平は中央党内の制度リソース(党内の民主的推薦)と、非制度的リソース(太子党という身分)から、第五代のリーダーに選ばれた。これによって*前述のとおり習と薄の太子党の待遇が違った。(*前述→こちら;http://p.tl/D19R)

当時すでに口に出さずとも皆心のなかで次期キングメーカーは李克強だと分かっていたので、野心満々の薄熙来の政治的未来ははっきりしないものだった。

第一になぜ薄熙来の中央常任委員会入りはかくも困難だったか?

薄は、中外の評価では「野心満々」とよく言われた。私も「トップを狙う男」と表現したことがあるが、言いたかったのは中共の組織セオリーからとか、総書記の地位を求める位置にいるということではなかった。

なぜなら薄が現在求めていたのは政治局常任委員に過ぎなかったからだ。薄は他の”常任委員会入りが可能な”連中、例えば李克強、劉雲山、張徳江、張高麗にくらべ才幹が劣っていはいない。

もし、「党を救う」という観点からなら、薄は実際他の連中より能力も気迫も勝っていた。また資格なら、中共の幹部選抜基準(知識化、地方と中央での経歴の 両全)、非制度的資格(太子党の身分)を持っていた。中国の最高権力への階段は、中央委員、政治局委員、政治局常任委員だ。

薄はその前者2つを上ってきており、全力で最後の階段を上がろうとしていた。その資格と勢いからいえば「常任委入り」は当然の政治的願望であって、べつに”野心”というほどのものではない。

まさに康熙帝時代の「9王子が帝位を争う」同様、王子達は王位後継の資格を持ち、上位に出られるかどうかは競争で破れたものはギブアップだ。が、それを”野心”などという言い方は、勝ったものが敗者に向かっていう言葉に過ぎない。

私は、薄熙来が重慶トップになってから、その政治姿勢があまりに勢いがあったために、中南海にとって自分たちの権威が挑戦されていると感じたのが、この”常任委入り”を困難にした一つの主要な原因だとおもっている。

薄熙来が商務部長から重慶市委書記兼政治局員の時、「常任委入り」は5割の確率だった。もし、低姿勢でそれを求めたら可能性はあった。が、損得を計算した薄は、なんと中共始まって以来の3年に渡る「権力奪取の旅」に出たのだ。

出発点は「唱红打黑」。「唱紅」は自らを毛沢東路線の正当な後継者、を意味し「打黒」は重慶を「清らかで明るい社会に」だった。

ここまでの薄のやったことは「許容範囲」だったが、2010年、正式に「重慶モデル」と言い出したのが中共の原則を越えたものだった。

つまり中共の伝統では党内の理論を提起できるのは親分しかいない、のだ。例えば、毛沢東の”思想”、鄧小平の”理論”、江沢民の”3つの代表”、胡錦濤の”科学的発展観”だ。

それが国内4つの直轄市の最下位の重慶市の書記ごときが、なんと「重慶モデル」などと言い出したのだから、なんといっても中南海のリーダー達は自分たちの権威が挑戦を受けている、と感じさせた。

所謂「左右の政治路線争い」などという言い方は、私はずっとまったくの嘘っぱちで、これは権力闘争の道具に過ぎない、と私はずっとおもっている。

(二)薄熙来は一体何に頼っていたのか?

中国の歴史で、諸候が「トップを狙う」には往々にして天子の力が衰えて、諸候の力が増し、天子がどうしようもない時だった。

しかし、「トップを狙う」ことは社会の政治秩序に反することだったから、「鼎の軽重を問う」者はゼッタイ強大な非制度的実力を備えてこそ、はじめてシステム側の力と対決できたのであった。薄熙来にそれがあったか?

答えは、薄熙来はゼッタイ多数の同じクラスの役人がもっていなかった”非制度化されたリソース”である太子党の身分をもっていた、である。

中国の政治をよく知っていれば、太子党の特別な意味をご存知だろう。その父世代が中共政権と関係を持っており、さらにそれは「老太子党」と「新太子党」にわかれる。前者は中共の初めの頃の、後者は主に第三代、第四代国家指導者の後裔を指す。

中国では太子党の身分は政治経済の特権階級を意味する。そこまでいかなくても、中共天下取りに参加したら「革命幹部子女」で最近では「紅2代」、その他の役人の指定はただ「官2代」。これらの中共の宦官の子たち内部の身分の区別である。

新旧の太子党が父世代の政治リソースをネタに金持ちになった話は中国にはやまほどある。これは中共の標榜する価値観と相反するために、中国では政治禁句になっている。

中国の検索エンジンの百度では「太子党」とひいても外国の例ばかりでてくるが、グーグルでやればたちまち328万もひっかかってくる。内容はいちいち論ずるに足りないが、英語ではchina’s red princesses として常に中国報道のホットなテーマである。

中国の第四代指導者(*胡錦濤ら)の実績はたいしたものではないことから、世論には特に敏感である。改革開放以来、このリーダー達の実績と来たら「乏しく古くさい」でもあきたらない。

時代のキーワードは「高度腐敗」、「家族海外逆単身汚職官僚」、「インターネット規制」、「五毛」、「地方政府の農民土地収奪強制収容売り飛ばし」、「政府のヤクザ化」、「焼身自殺抗議」、「3億の貧困民」、「大規模群衆事件頻発」…等等。社会の危機は至る所にある。

こうした認識は頭のはっきりしている在野人士だけでなく政府統治集団内部でも基本認識である。エリート階級が次々に国を捨てて逃げ出すのはその態度の表明である。

つまり、薄熙来の“唱红打黑”の基本の上になりたつ”重慶方式”とは胡錦濤・温家宝の政治実績に対する一種の否定なのだ。

本当に”重慶モデル”が中国を暗黒から救うかどうか別問題だが、この種の否定のジェスチャーは、一山あてようという輩から、本気で擁護しようという色々な動機からななる熱烈な呼応を引き起こした。

こうも言えるだろう。胡温の無策と社会矛盾の積み重ねによって、党内はもちろん、民間でも怨嗟の声に満ち満ちているとしかいいようの無い状態が最高指導者としての胡温の声望を見劣りさせボンクラだったと。

そしてそれこそが、薄熙来をして、重慶で、政治的”バンジージャンプ”をなさしめた、のだと。(終)
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